アディオスしたい欲求が不満です
「女郎なんかしているから。金を買ってやったのよ。」
私はやりたくもなんともない。憤り。一月上旬の空気の乾燥で唇の端が切れて痛いと声をあげるこんなことしか言うことができない人間はただそれまでの人間でそんなのを抱いてやる世界観。何かが嫌いだってね。知らねえよ。
執拗に繰り出されるサーカスみたいな所詮異端児にはなれない思い上がり自傷患者みたいな。女が嫌い。男が嫌い。人が嫌い。世界が嫌い。自意識が嫌い。言ってもどうにもならない。
死ねババア。
死んでやる死んでやるって喧しく唱える私は消えた。不自然のなかで。不必要な言語を吐いて自分に自分でわざわざ泥を塗る日々。「他人を変えるのは行動だけなので私は死ぬという行動を選びがちというだけに過ぎない」「わかるよ、私も、なんか私が宇宙人みたいだなって思ったことある。文章を書くの、私は体力いるみたいで、要は怠けてるんだけど、書くのを持続する力が無さ過ぎてなんにも書き終えられないの。」なんにも書き終えられない日々、書き終えられない人生! って誰かが叫ぶ。それは私。爆笑。
まだらな肌の色した私が鏡にうつる。今日も私は私を私だと自認できたけれど満足できなかった。当然だった。言葉足らずで言葉が過剰な私は今日もスタンダードになっている無理をして不条理。疲れた。アディオスしたい、アディオス。しかし日々は連続していてそれは私にも理解できて人生って連続だしどいつもこいつもくたばらない。マジ死ねって気分って言われる。アディオス。
スルメを意識集中させて噛んで噛み切るブラボーわたし!ガラスペンのガラスのペン先を洗ってきれいにするブラボーわたし!けれどそれらはまやかしだ。
消しゴムを彫りながら考えていたのはテロり方。私は盛大なる自爆をしたい。誕生日に通っている精神科を急遽たずねべゲAを処方してもらう。当直医の先生の眉毛を見るように私は意識をもっていく。飛ぶ意識、飛ばされる意識、殺し合いにならねえな!なんでかな!殺し合いにならないのは不思議だな!
つぎの日、日記帳を買いにいけなくて唸る髪の短い女はアディオスできなくて死のうとしてた。
花と星と呪い
なにものでもないけやきを伐採
わたしの血はながれないでほしい
いろいろ恨むことをゆるしたわたしは
どの花もゆるせなくてころされた
嘘偽りないものをさらす日々
恥しかない
生きても生きてもなんにもおどれない
わたしは戦場にすぎないと、
それがやさしい物言いなら
不思議な
星に
不思議なもの
が
存在して
それが不思議とふえたりも
して
不思議なこと
に
連続していって
だから
不思議
に
終わるのだろうって
私は私による要因で
誰か
と
くらべた
美醜などは
少なくとも
このとき
問題でない
永遠に階段で
永遠に永遠
を
重ねてシーシュポス的な
ふざけ方
を
さらすわたし
あなたがたはなぜそうも攻撃的なの? って
さいごまで訊けないわたしをのろえ
そんなことなかった。
両サイドと後ろ(えりあし)かりあげて脱色しました。
ブリーチ2回くらいしたら頭皮のダメージが結構ありました。
自分のことを私は卑しすぎてどうしようもないといつも思っているのが当たり前っていうか意識すらしない前提なんですけど、「もしかしたら私はある種気高いのかもしれない」ってふと思って、でもやっぱりそんなことないんですよね。
どこかのステージだとかにエントリーする資格すらないし、あなたがたのその選択肢に(私が)はいることもないでしょう。これから先も。
そういうことがさびしかったり惨めだったりつらかったりすることも、まあ、ありますが、静かにひっそり野垂れ死にできたらなと思っています。
私が一刻も早く死にたいのを私はどこかいちいち一大事に思っている節があることに気づいて、で、よく考えなくてもぜんぜん一大事じゃないわみたいな。私が死にたいのも私が死ぬしかないのもそういうの、当たり前のことっていうか、「呼吸しなきゃ死ぬ」くらいの意識と一緒なんで、本当、一大事ではない。全くもって。ばかですね私。もっと早く気づけよ…。
いろいろ考えたり思ったり組み立てたり、いろいろ常にしてるけど、ノートに書いたりパソコンで打ったりするところまで力がいかなくてだめです。このブログは日記みたいにしたらいいのかどうなんか悩んでます。これこそどうでもいいですね。レスタミンて肌荒れしませんか?オーバードーズ自体、何でやっても肌荒れしますけど…私は昔レスタミンも当然の如くやったので…
シルバーウィーク前あたりからずっと風邪ひいて治ったとおもったらまた風邪ひくっていうのをずっと繰り返してます。今も何回目かの風邪ひきなう。
鶏がらスープとりたい。
雑記
人間のままでしあわせになりたい。
しあわせになりたいというよりは苦しみのない安心のある生活をおくりたい。
何を書きたいのかが考えれば考えるほどわからないし書くほどのことなどなにもないように思う。
「伝わらない」ということがコミュニケーションでの前提で「伝わらない」から伝えようとする。
言語化したって伝わらないままなのでなにも意味はないように思える。
人になにかを伝えることは骨が折れる。疲れる。
私はたぶん私が思っているより疲れているだけなんだろう。あなたがたはそう決めてるんだろう。
すっぱりと死んでいきたい。
それが諦めであることは否定もなにもしない。
明日大阪行くつもり。明日と明後日と叔父ちゃんと過ごす予定。
けど明日の予定はなんもない。
行くべきところが思いつかない。そんなところない。
大きい本屋さん行ってウロウロしようかなって思ってはいるけど行ってどうすんだっていうことも強く思う。
死にたいとか死ぬしかないとか以外のことがわからなくなってしまっている。多分。私は。
(自己モニタリング機能が壊滅してる)
私のやりたいこととか苦痛でないことがわからない。
欠陥。
なんにも適することができない私です。
さびしい人間です。おまえもな。
貝殻虫
ゆきゆきて。みてーな感じで夜が明けたのは幻想で眠れないまま私は午前四時を認識する。ぬるついた顔面、なにも期待できない台風、消散したアイデアと期待。
「生命という認識に意味はあるの?どれもこれもただの道具でゴミではないの?」という疑問を抱いてはいけませんといわれた過去を捨てきれないので現在いろいろ悲観しております。恐れ入ります。
愛、ラブ、ラブ&ピース、ピース、そして研究室。愛なき世界じゃだめなの?と愚問にされる人類もいるという認識。認識の認識による破壊行為、そして月桂樹を思っての行為という名の暴力。貝殻虫を駆除しようとするわたしは世界の脅威に他ならない。暴力がきらいだといいながらも貝殻虫を殺戮してしまうわたしの両手をだれか撃たないかなあと思って貝殻虫をこそぎ落とす。ばかじゃねえの。ばかだよ。死ねばいいのに、わたし。幼い自意識ははやく淘汰されるべきなのに、なぜ、なぜ、なぜわたしの暴力をゆるすのですか神様。死ね死ね死ね死ねって思うことすらせず貝殻虫を死なせるわたしの認識。だれも幸せになりませんようにって思うことすらせず夜が明けたら私は死にたさを認識するだろう、みんな死にますようにって、その「みんな」ってどういう価値基準で選んだ範囲? いくつかの不幸は仕方がないの? この世は広いから? いくつかの不幸は仕方がないの? 貝殻虫を殺戮するわたしは「正常」? どうして?
どいつもこいつも自分を含めて呪うしかないな、の、「どいつもこいつも」の選定基準はなに?
真摯に素直に殺戮をくりかえす。
貝殻虫にわたしは恨まれて呪われるだろう。
セージが枯れてなかった
人に嘘偽りのない態度を示す―というより、あえてそういう態度を示したことを黙って見逃すような者は一人もいない。誰かに本当のことを言うのは、不作法の罪を犯すこと、相手より自分がまさっていることを認めることだ。「どんな権利で、本当のことを面と向かって言うのかね?」(『カイエ』)
— シオラン (@Cioran_Jp) 2015, 7月 13
晒すのは恥しかない ありのままあらん限り 血肉とて いつかは 皮膚を出て不明になるのだや 生きても生きてもワルツ 死んでも死んでもワルツ 出会いも出会いもワルツ 別れも別れもワルツ/ワルツ
— 友川カズキbot (@tomokawa_bot) 2015, 7月 16
深みで語られるものは、高みで歌われる。
— TristanTzara (@TristanTzarabot) 2015, 7月 1
さまざまの病気が優位に立とうと争っている戦場、私はこの戦場にすぎない。(『カイエ』)
— シオラン (@Cioran_Jp) 2015, 7月 4
どんな才能もないというのはなんという特典だろう!才能を持った人間は憐れむべきだ。画家は今なお、色彩から何かを引きだすことができるのだろうか?詩人は、眠りに落ちた言葉を呼び覚ますことができるのか?あらゆる音の組み合わせが考えられてしまった時代に、音楽家にはどんな未来があるのだろう?
— シオラン (@Cioran_Jp) 2015, 7月 5
善意のつもり、賢いつもり、自分は永遠に健常者の側で障害者を助けてあげる側から決して出なくてよいと思っているような、差別的な「やさしい」物言いには、心底反吐が出る。へどろをすくってその顔に投げつけてやりたい気分だ。
— ayaiwat (@ilu2aya) 2015, 7月 6
自分が正しいかどうかをどうしたら知ることができるか。その目安はしごく簡単なものだ。すなわち、他人どもが君を避けて寄りつかないならば、彼らよりも君の方がずっと本質的なものの近くにいることはまず疑いない。(『四つ裂きの刑』)
— シオラン (@Cioran_Jp) 2015, 7月 6
ラディゲは、明るみのもとで仕事をする。ぼくの神童は、世界中でもっともありふれた様子をしている。まるで、こう言っているようだ「このように、ぼくの年齢のものはみんなあるべきだ。ぼくが普通なので、ほかの連中が例外なのさ」と。『レーモン・ラディゲ』
— Jean Cocteau (@Cocteau_ESSAI) 2015, 7月 8
わかりました死にますって言ってそのまま本当に死ねたらどんなにいいだろう。
本当は殺したいけどやっぱり死にたい。そんな感じ。恥さらしを今日もインターネットにのせて生きる私が心底くだらないのでわかりました死にます。私は浪費しかできない無駄な存在なのでわかりました死にます。
不思議な星に不思議なものが存在してそれが不思議と増えたりもして不思議なことに連続していってだから不思議に終わるのだろう。私が自殺に成功したところでせいぜい日本の自殺者としてカウントされるだけだろう。三万分の一くらい。ひょっとしたら自殺とカウントされなかったりするかもしれない。だったら十五万分の一くらい?だから死んでも一緒だ。死んでもなんにもならないのなら私は早く死ぬべきだ。生きているより死ぬべきだ。現状が続くことより死んだほうが楽だ。
私は私による要因で死にたいだけ。誰かとくらべた美醜などは少なくともこのとき問題でない。社会が害なのか私が害なのかという不毛な議論は疲れるだけなので。私は私による私の問題により死にたいので自殺を選びたい。生きていくのに疲れただけかも。シーシュポスごっこに疲れただけかも(かっこつけた言い方)。
生きても死んでも役に立つことはない。生きても死んでも同じことなら辛苦の少ないほうへいきたいだろう?そういうこと。
誰のせい?とか言ってはいけない……?
高校中退まで私に関わった教師・講師・あるいは保育士?みなさん多少は責任感じてくださいとか、言ってはいけない……?(復讐心の前身のようなものが沸き起こる夜それが今夜)
私を殺すなら今だぜ。こんななんにもならない私の頭部にバキュンと一発。誰か私のくだらない思考を止めてください!