よけのまいのにんげん

いつかの為の遺書です。

繰り返せば

ゆるやかな自殺をしたいくせに、試みたのに失敗したらと考えて今日もご飯を適量たべる。わたしはなにも思い切れない。安全な場所などどこにもないのにありはしないのにどこかにあると思ってしまって憧れるばかな人間もどきが亡くなったってただの成功なのにわたしはおそれてしまっているから死ねないのでしょうか。恐怖心に打ち勝つには繰り返せばいいのでしょうか。はい。

死ぬほどの日々

美しくもないにんげんが化粧をしていちおうの体裁をととのえたつもりでいる、わたしのことです。なにかをがんばったり、どこかへでかけたり、そういうことをしたつぎの日、微熱がでます。からだのいたるところが重く、しんどく、何回かに一回寝込みます。わたしに適したところとかあるわけもないし、わたしに適するようにとかだれもしてくれないということ、それはみんな「一緒」であるとか、知っていますが、毎日、わたしが存在しているだけでわたしは疲れ果て磨耗してしまい、そんなわたしをわたしは責めるしかできません。わたしは心地よいところでおだやかに過ごすことを夢みて今日もつかれました。やさしくされたいと思えるほどわたしはだれにもやさしくできないし、いもしないだれかにゆるされるほど能もありません。

たとえばわたしがまたガリガリにやせていったとして、そのままもどらないでいたら、それは自殺になるのか?

ストレスによわいんじゃなくて、苦痛なことがあふれているだけで、苦痛なことだらけのまわりがおかしいって、言ったところで

 

20160830

あたまわるいのであたまわるいことしか書けないし言えない、それがわたしです。(自己紹介)

おもしろくないのでおもしろくないことしか書けないし言えないよ。ばかか?わからんのか?殺し合いがはじまらないのはふしぎだな?わかるといわないでくれとも言えずにきもちわるい顔しながら両方の口角あげて「ははは」とぼやかすこと、それもつらい、あとからとてもそんなじぶんに落ち込む。なんで?とひとつ覚えにむやみにきいてくるかたがたにカチンときてきずついてそして落ち込む。わたしはもう人間にかかわるごとにきずつくのだな、というかんじのことを涙しながら落ち込む。わかると安易なかりそめの好意でパッケージされたことばを投げられるたびにわたしはきずついて死んでいく。そしてそのこと、言わせてすらもらえない。いちいちうるせえ、みんながみんなうるせえの。

気にしいのわたしなのでとなえてます、「人の言うことを気にするな」。どんぐりの木はくりの木じゃないし、びわの木はいちじくの木にはなれないのに、訓練させられる、そんないきもの、おなじものなどない、わたしはだれにもわからない。

秋も冬もきらいじゃないのに、すずしくなってさむくなっていくことがこわいのは、わたしの誕生日が真冬にあるからで、過去の、真冬のわたしの誕生日が、つらかっただけです。

あなたが将来をかんがえたところで、あなたがかんがえたとおりになるとでもいうのですか?

今なんとかしてる、それだけじゃ、わたしを否定しかできないの?

だれもわたしをわからないでください。おねがいします。だれもわたしを選ばないでください、だれもわたしに期待しないでください、おねがいだからわたしになんの期待もしないで、わたしになんの感情ももたないで。

地獄の悪夢ってやつかなあ。うけるね。

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夏が結構好きなのはなんでかわからない

今朝首のあたりを寝違えていた

昨日けっこうな大金をとあるところに所用で振り込んだら当たり前に残高がごそっと減ってわたし太ったなあと思った。太ったなあと思ったのは別に悲観ではない。去年はベルトなしじゃはけなかったボトムスがベルトなしでもはけるなあって感じ。あてになる人間なんていないってことをわたしはずっと気づかなかったがやっとその誤魔化しに気付けるようになってきた。私にやさしそうに言う人も私にきびしく言う人もあてにはならないし聴いてはいけない。聴いても忘れることだな…。わたし以外わたしでないからあてにならない。それを知らず、気付かず、忘れているような人たちの言うことはどれもあてにならない。

わたしは悲しいと思えるようになりたいし、疲れたと感じられるようになりたい。今は疲れたと感じられないのでいきなりしんどさがキャパオーバーして動けなくなる感じ。自己モニタリング機能は20〜30%回復したろうか。私はもっといろいろ感じたい。感覚過敏はつらいことばかりではあるけどそれでも私はいろいろ感じたいよ…。例えば私が70歳になったら今の辛さのことを微笑むかもしれない。歳をとってにぶくなれる人は幸せなんだろうな。私の命なんてわざわざ捨てるにも値しないし、そのうち淘汰されそうだし、隠れていたい。だれもわたしを見ないでください。野垂れ死にまで撃たないでください。

コレクション

春の海におきざりにされたCDアルバム

わたしの右手の傷

すべて桃色の地獄の季節。

去らねばならない

そんなものない

いくつかの地獄

多様な地獄

いくつもの軸があることを地獄、

伐採された野垂れ死にを

わたしは守れなかっただけです

ネオテニー

じゅじゅんでいく地獄

しらないやつを

とりかえす星

たおやかに静観

うごかないものだけが正しい可能性

消していく罪悪感/咲く罪悪感

見栄えだけ追うそんなやつらに見せるかたちなんてない

発見されたわたしでありたい。

わたしばかりが過剰のコレクション

コレクション

散って野

「車窓より」
つばめが飛んでいる
枯れた木の上
民家がすき間をうめるように
直角平行の、
この時期田んぼは茶色、
僕が死んでも。


象牙の塔
俺か世界か、
俺と世界。


外、立つ半透明の霧が言う、
「死ねるぜ」
目線は飛ぶ飛ぶ
俺と世界の、


台形

上、
ひとり、
坂だ
あわい坂だ
青磁色の
白っぽく枯れた
植物ら

植物ら、

土となるまで

野である。