よけのまいのにんげん

いつかの為の遺書です。

なにもきらめきのない時の流れである。きらめきがないどころかただ身体だけが容器のように存在していてただそれが腐って分解されていないというだけ、身体という容器がほかの容器とともに存在して流れたり流れなかったりというだけ。わたしは容器でしかない。わたしの精神とされるものはいつもどこにもいない、どこにも流れていない、存在しない、殺し合わない。容器が起床し、食事をし、就寝し、そのうちなにかで亡くなる。そこにはただ流れがあるだけで意義はない意味はない、生産性というのは宇宙にとってなんなのだ? 容器のかずが増えることは投棄されるものが増えて容器もたくさんどんどん投棄されることでわたしも容器だからそのうちただの流れのままに処分されてなだらかになるしまた生産されていく諸々になにがしらの影響もなくきれいな流れで処分されてきれいになる。容器が生きているものだったらそれは処分されるものということで動くものは時の早い遅いがあれ処分されるという流れのうえで流れてわたしという容器も割れていようがきたなく崩れていようが関係がなくただほかのきらめいた容器とおなじく処分されるから、それを希望にわたしたちという人々はわたしたち以外を執拗に攻撃懺滅しつづけている、殺し合いということをさけようと婉曲して、見た目のいいものばかりでしきつめて、見た目のよくない容器はこなごなにしてから接着してリサイクル、たのしまなければならない、有意義でなければならないと容器のくせにやかましくいうリサイクル逃れた容器、リサイクル逃れた容器はリサイクル要因の容器よりえらい、すごいね。その流れは宇宙になんの意義もない意味もない、なのに意義も意味もあるように見せるのがうまい容器がえらい、そうなの、すごいね。わたしという容器はただ処分に気づいて流れている、かけがえのない透き通った殺し合いがなされているのだとして、だれの血だろうとわたしの城ではしずかにしてくれ。