よけのまいのにんげん

いつかの為の遺書です。

バランスを考えながら今日もごはんを適量たべ、また自己肯定のできない理由に気づいていくのでごはん適量たべてるくせに頭が回るままなので死にたがりなわけですけど、死にたがりのくせに過去のことなどで許せない可能性も感じてしまう。三流の死にたがり。

死にたがりが生きていてはだめな法律もないのに一般には「スジが通ってない」ように思われてしまうのでしょうけどそれは思慮が足りないだけですのでそのあたりで尻子玉ぬかれてろ、と思います、わたしは矮小な俗物でしかありません。

なぜ自分の意見を強く発言していいものだと思えるのですか?

しかしわたしもずっとなにかしらの罪人で加害者たる顕在化した後悔です