よけのまいのにんげん

いつかの為の遺書です。

お盆

盛夏に空でゴロゴロいって夕立がくると落ち着くのはわたしの何とも関係ないってわざわざのたまうことのわざとらしさに辟易して墓場にいくのをことわりだれもいないと呟く。ひとりでやらずに連帯感の中でよろこんでいる人たちをどうしてか好きになれないまま良い年になり幼年期のおのれと折り合いもつかず消化もうまくならないままそれじゃ許されないようになっていくのだろう。

許されなくてもうまくできないままでまだ救いの残った今にかんがえなくてはならない選択肢のひとつにいつもあるやつ、悲しみかかえてるとでものたまうつもりか? おのれも他者も容易に許すことだけ訓練していて、悲しみかかえてるとでものたまうつもりか? 世の中は他者でしかなかったとでも、悲しみかかえてるとでものたまうつもりか? きゅうり切るように腕でも切り落とすつもりで切るのはきゅうりばかり。悲しみのかたちなどないままなのに。