察せない、言い聞かす、淘汰される私
言葉にされる以外で相手の気持ちを察しろとかできるわけねーだろ。
— 大羽 左膳(さとし) (@sazenn0103) 2015, 2月 10
ADHD 高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群 自閉症)
私を形成する一部にすぎない、と言いきかす。
死ぬしかないので泣いています。
私は言葉を言葉としてのみ感知できます。
言外の意図とか無いでしょ、言外ってなにも無いじゃん。
私に伝わる形の言葉にしてもらわないと何にもわかりません。
死ぬしかありません。死ねばいいのに。死ぬしかありません。死ねばいいのに。
20150209月
私だって残酷。
正気です
なにもかも放棄できない
適合できない自分が悪いのだ pic.twitter.com/6gBpnlsVpg
— 大羽 左膳(さとし) (@sazenn0103) 2015, 2月 2
適合出来ない。なにもかも放棄したい。#当事者 #発達障害 #ADHD #PDD #広汎性発達障害 #高機能広汎性発達障害 pic.twitter.com/nbr6m2ZeFU
— 大羽 左膳(さとし) (@sazenn0103) 2015, 2月 4
@sazenn0103 これ読んだからってどうにもなんないんだよおおおお
— 大羽 左膳(さとし) (@sazenn0103) 2015, 2月 4
なにもかも放棄できないが故に苦しんでます。
不必要な言語で顔に泥を塗ってばかりいる人たち、を、横目に見ながら私は私として死んでいくでしょう。
私の中の私は今やっと9歳なのかもしれないし15歳なのかもしれない。私が21歳だとしても、私の中の私は9歳で生きています。
編み物をしよう。
そんなこと言う奴らの為に本当に死んでやりたい
感覚の鈍い人達で溢れかえっていてしんどいです。って伝わるように言ってやりたい。
確実に死ねる方法を考える日々です。まだ見つかりません。確実に死ねる方法が首吊りくらいしかやり方わからないので首吊って死ぬかもしれません。
本当は引きこもってずっと編み物していたい。とか思います。
なんにも理解してない人に理解してる様に言われる度に私の絶望の種は増えていきます。絶望してても個体を維持することは出来るみたいで今生きてる次第です。絶望していない日はありません。私という個体には絶望がなんの影響ももたらさず絶望しながらも生きていることが辛いです。絶望しながら生きていることが辛いので疲れましただから死んで終わりにしたいです。
絶望した、というのは自分と自分の未来のことに対してなのでどうしようもありません。この先も不都合さゆえに不甲斐ない私のままであり適合した形に私がはまる可能性を考えたらゼロに等しくて、周りが、世間が、圧倒的大多数が悪いのではないと思ったり言われたりする度に私はどんどん死ぬしかなくなってきました。それはこれからも続いていってますます死ぬしかなくなっていくだろうなと考えるとやはり死ぬしかありません。
自己責任論を唱える方々は、あなた達の言葉で気分をぐちゃぐちゃにされた私についてはどう責任をとるつもりですか?
私は私が劣っていることに対してどう責任を取ればいいんだろう。
必ず私は何ものにもなれない。成功というのは私の日々の中にはない。私の小さな私、何にもならない私。
勝手に私が振り回されてるだけなのでやはり私が滅する以外に解決方法がない。
絶望しています。死ぬしかないことに。
20150125
@rnc_06 肩の力を抜いてたら死んじまうよう
— 大羽 左膳またはサトシ (@sazenn0103) 2015, 1月 22
自分もその相手を見下してんのに「私を見下してきやる」とかお互い様じゃんと思うけど、そういう人はまず自分が相手を見下すのが当たり前過ぎるのか「自分が相手を先に見下しているから見下してこられている」ということに気付かないんだよな…
— 大羽 左膳またはサトシ (@sazenn0103) 2015, 1月 22
見下してこられた時、その見下されたことに対処する方法が「見下し返す」しかないからっていうのあると思う。「ああこの人可哀想な人なんだな」「この人なんも知らないし知ろうともしないんだな」「想像力が無いんだな」等々。
— 大羽 左膳またはサトシ (@sazenn0103) 2015, 1月 22
自分を正当なものであると思いたいだけの人とか滅しないかなあ。
— 大羽 左膳またはサトシ (@sazenn0103) 2015, 1月 22
@sazenn0103 趣味のあれこれと友達と苦悩やらで今私はいっぱいいっぱいなんですよ!
— 大羽 左膳またはサトシ (@sazenn0103) 2015, 1月 24
ベルトで首吊って死ぬか石油かぶって火をつけて死ぬかどっちにしよう。街路樹にベルトで首吊ろう。家族も自分自身も無理だ。自分自身が一番無理だ。いざという時の為に書いた遺書は机の上の棚のところにあります。家からふらふら出てきたけどカーディガン一枚でこの時期に外出るのは馬鹿だったかもな。男の子(最後に短歌)
私は長らく少年でした。男の子でした。
とても離れ難い大切な"戦友"という呼び方がぴったりくる友達と知り合った時、私は17歳の男の子でした。
「彼女は17歳の男の子でした」と、その友達が書いてくれたことがなんだかとても嬉しかったのであります。
このことに関しては余計な言葉を連ねたくないほど嬉しくて泣きそう。
私の自己認識すら阻むような複雑で奇奇怪怪な精神性や特性・特質、それらに弾き飛ばされながらも火花を散らし、私は幼い女の子にようやく私として成れたのです。
もうじき21歳ですが女の子としての精神年齢は15〜16歳くらいの馬鹿っぷりを晒して生きてます。今は女の子に近いはずです。年明けには21歳なんで女の子なんておこがましいのかもしれませんが、私は私が女の子であった時間が少し短いので許して下さい。
短歌。
風呂なうと呟く口に入る湯気多幸じゃなくとも生きてはゆける