秋のはじまり・灰色の爪
気温が下がり盛夏よりも虫が元気に飛んでいて自分の身をごまかせないけど周囲は生命が穏やかに喧騒をやめない、穏やかになりたいから自分をごまかしたい、手の爪にネイルポリッシュを塗って、自分をごまかしたい、自分をごまかす為にできることをその割りに知らない。飛んでいる虫ぐらい馴染みたい。馴染めないからごまかしたい。なのに馴染めずごまかせず穏やかになれずつま先立ちしてキンキンしたものに耐えてるかのようにしか、ネイルポリッシュは灰色を塗った、黒色よりやわらかいだろうと思って、なにがやわらかいんだ、なにもやわらかく成れていないくせに。
矮小な人間も多幸になるならそれはもっと俯瞰して見ても多幸なことなの?
お盆
盛夏に空でゴロゴロいって夕立がくると落ち着くのはわたしの何とも関係ないってわざわざのたまうことのわざとらしさに辟易して墓場にいくのをことわりだれもいないと呟く。ひとりでやらずに連帯感の中でよろこんでいる人たちをどうしてか好きになれないまま良い年になり幼年期のおのれと折り合いもつかず消化もうまくならないままそれじゃ許されないようになっていくのだろう。
許されなくてもうまくできないままでまだ救いの残った今にかんがえなくてはならない選択肢のひとつにいつもあるやつ、悲しみかかえてるとでものたまうつもりか? おのれも他者も容易に許すことだけ訓練していて、悲しみかかえてるとでものたまうつもりか? 世の中は他者でしかなかったとでも、悲しみかかえてるとでものたまうつもりか? きゅうり切るように腕でも切り落とすつもりで切るのはきゅうりばかり。悲しみのかたちなどないままなのに。